無知は人を傷つけるのか?~人は違うという前提と、共感力について
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こんにちは、ミサキです。
無知って、人を傷つけると思いますか?
自分はそんなつもりじゃなかったのに、知らないというだけで無神経な発言をしてしまうことって、ありますよね。
それを指摘されて、とても落ち込んでしまいました…。
無知による発言が誤解を生む
私はペーパードライバーで、もう10年近く運転していないため、車のことが全くわかりません。
元々やや方向音痴のため、駐車事情や車で行きにくい場所、街と街の位置関係など、ドライバーには常識的にわかることが、冗談かと思うくらいわからないのです。
そのため、途中でピックアップしてもらうのに、とんでもない場所を指定しようとしたり、パーキングメーターの仕組みがわからずに長話して相手をヒヤヒヤさせたりということを、知らず知らずにやってしまうようなのです。
その度に、こちらはそんなつもりではないのに「ワガママ」とか「空気読めない」と思われるらしく、そのことを知った時かなりショックを受けました。
相手からしてみれば「どうしてそんなことがわからないのか?とんでもなく自己中で、全然ドライバーのこと考えてない」となるようです。
ところが、こちらは本当にわからない。
土地の位置関係なんて、行ったことある場所の、ほんの限られた部分しか理解してない。
家の近所だって、普段歩く道の1ブロック先の事は全く知らないのです。
東京で言えば、山手線の駅の位置関係すら危うい。生まれてからずっと東京育ちにも関わらず、です。
感覚として、「電車は一定時間乗ると、行きたい別次元に移動する箱」とでも言えばいいでしょうか。
自分で歩くなり自転車に乗るなりしないと、地続きなイメージが作れない。
街と街が別次元のような感じです。
当然、地図上でどの辺とか、ほぼわからない。
この感覚なのに「ワガママ」と言われると、自分の無知は悪いことのように思えて、悲しくて途方に暮れてしまいました。
人には、違いがある
この事についてずっと考えていたら、ふと気づいたことがあります。
自分(達)にとっての常識は、他人の非常識かもしれない。
そこにあるのは単なる「知っているかどうか」の差でしかない。
例えば、やたらと声が大きい外国人観光客。
こちらはマナーとして不快に思うけれど、あちらの国ではそれが普通で「日本では良くないこと」という自覚は全くない、とか。
男と女の考え方の違い。
地域によって、全く違う風習。
どちらが正しい・正しくないということは一切無く、ただ違いがあるだけです。
それなのに。
自分と違うことを、責めたり怒ったりする。
違いがあることを前提にしていないがために、知らないからわからないことさえも、悪いことのように扱う。
責められた方に自信がないと、わけもわからず「自分が悪かったんだろうか」と落ち込んでしまう。
どうしてこんなことが起こるのでしょうか?
認知とリフレーミング
どんな物事も、事実はひとつしかありません。
でも、主観は人それぞれなので、その事実をどう認知するかによって、物事は違って見えるものです。
例えば先ほどの私の場合。
待ち合わせ場所を「当初の場所の隣の駅前に移動したい」と話しました。
隣の駅はターミナル駅で、待ち時間を潰すためのお店が多くありました。
私としては「隣の駅くらい、車ならすぐだろう」と思ったのですが、ドライバーにとっては「あんな駅前が混雑したところに廻せなんて、わがままだ」と思ったそうです。
物理的に隣の駅は近い。
でも、隣の駅が持つ意味は、お互いこんなに違う。
これが認知の差です。
この差を埋めるのは、コミュニケーションとリフレーミングです。
なぜ私が隣の駅とわざわざ言ったのか?
「時間を潰しやすい」という理由を先に言えばよかったのですが、そもそも「隣の駅は近い」という事実から、説明を省いてしまったのです。
ここに第一のコミュニケーション不足が発生します。
一方相手は、私が隣の駅と言った理由もわからず、「あんな混雑したところを指定するなんて、わがままだ」という認知をしてしまいます。
ここで必要だったのは「どうして隣の駅なのか?」を確認するコミュニケーションか、隣の駅にする理由を推察するリフレーミングです。
「わがまま」という認知をいったん置いて、事実を捉えなおすこと(リフレーミング)こそ相互理解の一歩だからです。
ところが、双方でこれを怠ってしまいました。
結果として、「わがまま」と言われた私は傷つき、相手は私に対して「理不尽で自己中」というイメージを持ちました。
根本原因は、共感力不足
認知の差を埋めるのは、コミュニケーションやリフレーミングであることはわかりましたが。
この現象が起きたそもそもの原因は、そこではないとも言えます。
なぜ、コミュニケーション不足になったのか?
それは共感力がうまく養われていないからでしょう。
共感力は、長く孤独でいると衰えるそうです。
孤独もまた本人の認知なので、家族と一緒に暮らしていても孤独を感じる場合はいくらでもあります。
私の場合、自分を認める「自己受容」が出来ず、「こんな自分はいつか嫌われて当然」という認知に囚われていたため、心のどこかにずっと孤独感がありました。
孤独でいると、人から理解されることを半ば諦めるので、コミュニケーション不足になります。
コミュニケーションしなければ、共感力は衰えます。
相手の立場で物を考える機会が減ってしまうからです。
自分の認知に閉じこもって、ますます孤独になる一方です。
でも。
共感力は、訓練すればスキルアップするそうです。
はじめは失敗して、傷つくこともあるけれど、必ず上達する。
いわば、心の筋トレが必要なのです。
大切なのは「自己受容」と、「心の応急処置」
ここまで書くのに、実は自分の気持ちがどうしようもなく落ちてしまっていたのですが。
書いているうちに、やはり「自己受容」が根本原因だと思い至り、やれやれといった心境です。
長期課題として「自己受容」は絶対に必要なのですが、早急に必要なのは「心の応急処置」だとわかりました。
ここで、この本をご紹介します。
まだ読み始めたばかりですが、こういう「実践書」をまさに求めていました。
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昨年末のTED「感情にも応急手当が必要な理由」で話題になったアメリカの心理学者ガイ・ウィンチの本です。
TEDに肉付けしたような感じの内容です。
心から何かを求めていると、必要な時に、必要なものが自分の前に現れます。
引き寄せって、多分そういうことなのです。
私の場合、「自分を変えたい」と思って以来、必要な書籍が絶妙なタイミングで手に入ります。
この本がなかったら、もう少し落ち込みは長引いただろうと思います。
心の筋トレ、きちんと取り組んで生きたいと思います。
孤独でいるのは、やはり寂しいから。