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セルフリライアンス〜もっと自分を好きになる方法

自己受容エバンジェリスト。元アパレル勤務のアラフォーこじらせ女子・ミサキの、ダイエット、ファッション、メイク、ボディコンディショニングなどの体験記。コンプレックスを克服するためのライフハックなど。

ドラマ「嫌われる勇気」第二話から読み解く(一部ネタバレあり)〜アドラー心理学「目的論」とは?

アドラー心理学

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こんにちは、ミサキです。

もう先週ですが、ドラマ「嫌われる勇気」第2話を見ました。
今回、内容的には前回より謎解きはちょっとマシ(ヒドイw)になりましたが、アドラー心理学を実践して救われた人物が一人もいなかったという点ではとても残念でした。
しかも、テーマとなる「目的論」がちょっとわかりにくかった。

一部ネタバレを含めつつ、気になったポイントを掘り下げながら「アドラー心理学」についての自分の解釈をおさらいしてみようと思います。

misakinha.hatenablog.com
第一話の感想はこちら。


そもそも「目的論」とは?

第1話放送後に書いた記事で、「目的論」の予習を書きました。


人は、必ず何かの目的のために行動している。

ドラマ内でも言及されてますが、例えば「怒り」は、怒りの対象者を威嚇するため。
だから、第三者がその場に現れると、途端に怒りを引っ込めて礼儀正しくなったりするのです。


そしてドラマ内では、「不平を言いつつも変わらない人たち」を描き続けます。
ブラック企業で、パワハラ上司。
文句を言いながらも、現状を変えない人々。
「やめたらいい」という蘭子(香里奈)の言葉にも、「家庭があるから」とか「花形の部署だから仕方ない」とか理由をつけて、何も行動しないのです。

最終的に、この「変わらない人たち」の中で起きた事件。
一年前自殺した成美も、成美のツラさを見て見ぬ振りをした同期の絵実華も、成美の弔いだといってパワハラ上司・市川を殺した竹内も、みんな変わることを選ばなかった。

なぜなら、変わることを選んだなら、辞めるなり戦うなりしたはずなのです。



成美は、死ぬほどつらいなら、辞めればよかった。

竹内は、成美のツラさをわかっていたのだから、彼女をやめさせるなり、市川と戦うなりすればよかったのです。
(成美は、市川からのパワハラがキッカケで発作的に自殺していますが、おそらく心身症レベルまで追い詰められていたはずです。
この場合、勇気云々ではなく、加療のために市川となんとしても引き離す必要があったはずです)

絵実華は、不倫相手のパワハラ上司・市川と同期の板挟みになってツラかったなら、どちらかに何か働きかければよかった。
「市川に嫌われるのを恐れて何もしなかった」という絵実華の言葉は、そのまま「嫌われる勇気」というタイトルにも繋がります。
その勇気がなければ、現状を変えることはできないのです。

怒りは出し入れ可能な道具なのか?

第2話で一番わかりにくかったのは「感情は目的を達成するための手段」という考え方でしょう。

竹内が市川を殺したのは、成美を死に追い込んだという怒りからではなく、市川を殺すという目的のために怒りを利用したと言い放つ蘭子。

これは、わかりにくい!

では、なぜ竹内は市川を殺したのか?
恋人だった成美の、仇討ちではないのか?


これが、多分違うのです。


竹内は、成美を救えなかった。
成美の苦しみを知りつつ、自らが変わる勇気がなかったばっかりに、何もできなかった。
その自責の念は、ものすごい圧力のはずです。
その苦しみから逃れるために、竹内は「怒り」を利用した。
「あいつのせいで、成美は死んだ」と思い込み、その恨みを晴らすという口実を作り、自責の念を怒りにすり替えたのです。
その怒りの矛先を市川に向け、彼を殺すことで自分を正当化したかったのでしょう。
だからこそ、蘭子から「人殺しを美談にすり替えないで下さい」と言われた竹内は泣きだすのです。


では、もし自責の念を竹内がちゃんと自分で引き受けていたら?
おそらく市川を殺すのではなく、対決したはずです。
市川は単なるパワハラだけでなく、成美の開発した商品を自分のものとして発表し、功を奪っています。
それを明らかにすることこそ、本当に成美の弔いになったはずです。


感情を目的のための道具として使う。
この考え方、怒り以外の感情の例が思い浮かびません。
この辺りは私のアドラーへの理解不足なのだと思います。


ですが、感情は出し入れ可能という考え方。
これはある程度理解できます。
この考え方を利用したのが、感情をコントロールするセドナメソッドです。

感情は手放せる

セドナメソッドについては以前も記事にしました。
misakinha.hatenablog.com


感情は手放せる、というのがセドナメソッドの基本的考え方です。
例えば悲しい時は「私=悲しみ」ではなく、「私=悲しいと感じている」が正しい。
英語で言えば、I am sadではなく、I feel sadというわけです。

それなら、悲しい気持ちは手放してしまおう!というのがセドナメソッド
詳しいやり方は以前の記事に書いたので割愛します。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド


アドラー的に言えば、「怒り」や「悲しみ」は、何かの目的の為に生成された感情です。
本人さえ気づいてない目的が隠されていることも、多々あるのです。


この隠された目的
それを知る一つの方法として、感情を手放すというやり方は有効です。
目的が分からなければ、前に進むことは出来ません。

まとめ

今回の「目的論」は、ドラマだけではかなりわかりにくい描き方で、おそらくアドラーを全く予習してないと誤解を生むのでは?と思いました。
一方で、「アドラー的にこの現象を捉えるとどうなるか?」と考察しながら見るのはなかなか面白いです。

そもそも日常はこんな風に陳腐な出来事の連続で、それをいちいち解説したり、導いてくれる人などいないのですから。


来週はどうやら「競争の中で生きる人々」についてのようなので、どういう切り口で来るか、楽しみです。




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