自分が嫌いでしょうがないあなたへ~自己受容への道のり①
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こんにちは、自己受容ナビゲーターのミサキです。
ここで気づいた読者の方はさすがです(笑)
さりげなく肩書きを変えました。
旧:自己受容エバンジェリスト
新:自己受容ナビゲーター
「エバンジェリスト」がどうも覚えづらいみたいなので、よりわかりやすく。
自己受容を手に入れるための水先案内人的な意味を込めてます。
これならきっと、正しく覚えてもらえるはず(笑)
このブログでは「自己受容」をテーマに色々書いてきましたが、私がそれを手に入れた道のりを改めてまとめてみます。
見返すと断片的にしか書いてこなかったので、改めて。
「自分が嫌い」と思いながら生きてきた
何をやっても、どこか自信が持てずに生きてきました。
取り組んだことにはそれなりに頑張るので、ある程度は上達なり身につくなりするのですが、そこに対してポジティブな自己評価は出来ません。
やればやるほど更に出来る人と比べて、劣等感に苛まれてばかり。
特に、同時期に何かを始めた仲間に追い越された時は、ひどい劣等感から卑屈になることもありました。
卑屈になると、どうなるか。
「向いてない」と意気消沈してやる気をなくしたり。
「自分なんかダメだ」と人格全否定して欝っぽくなったり。
結果としてやめたり、諦めたりすることもありました。
そして、その度にこう思いました。
「ほら、やっぱり私なんて、この程度なんだ」
自分が嫌い、でもプライドは高い
「この程度」。
この言葉が端的に表すのは、劣等感の中にある、無駄なプライドです。
ある程度努力して、それなりに身についたスキル。
それを良しと認めることは出来ないのに、自分より出来ない人は暗に見下しているのです。
にもかかわらず、更に上の人に追いつけないために、自分より出来ない人と同じ枠に括られることに対して猛烈な嫌悪感を感じた結果、出る言葉がこれです。
なんて、下らない。
そして幼稚な。
でも、自分は大真面目に悩みます。
やるからには、人より秀でたい。
注目されたい。
目立ちたい。
これを「負けず嫌い」「目立ちたがり屋」で片付けることも出来ますが、当人としてはそうではありません。
単に負けず嫌いなら、どんなに時間がかかっても、負けなくなるまで頑張ればいいのです。
目立ちたがり屋なら、どんな手を使ってでも目立てばいいのに、それはしない。
自分より秀でた人を妬み、劣っている自分を蔑み。
アドラーでは「劣等コンプレッックス」と呼ばれる状態です。
人生は苦行だと思っていた
こういう状態に陥るのは仕事のことと思われがちですが、それだけではありません。
趣味で始めたことも、初めは楽しいのに、やがて全部この状態になります。
いわゆる「娯楽」というものが無く、ただ楽しむことに対して罪悪感がありました。
楽しむことは、一時的な気晴らしにしかならない。
私が望む人生は、苦しくても頑張り続けた末に何かを達成すること。
こんな風に考えていたので、楽しむための旅行や娯楽にお金を使うことはあまりありませんでした。
また、性格的にユーモアに欠け、笑ったりバカ騒ぎすることが極端に苦手でした。
「お笑い」もほとんど見ない。
「ストイックであること」が自分の道であり、美徳であると思っていました。
生きづらいのは、そういう性格だからだと思っていた
これらの傾向は、自分の性格によるものだと思っていました。
自らの有り様を制限し、狭めていくような考え方ですが、「そういう性格なのだから、仕方がない」と。
劣等コンプレックスによってどうしようもなく落ち込んで、「消えてなくなりたい」と思うこともよくありました。
でも、早くて一晩、長くて一週間ほどで普通に見える程度には元に戻るので「浮き沈みは激しいけど、やりすごすしかない」とも。
手に負えなくなったら精神科なりカウンセリングなり行けばいいと考えていました。
ブロックがかかっているという指摘
そう思っていたものの、落ち込んだときの取り乱し方はひどく、話を聞いてもらっている相手に支離滅裂なことを言ってしまうこともしばしば。
これが原因で、恋愛がうまくいかなくなることが本当に多かった。
相手が疲れてしまって、振られてしまうのです。
恋愛に限らず、近しい友人とうまくいかなくなってしまったことも。
しかし、ある人から「メンタルブロックがかかってると思う」という指摘を受けました。
ブロック?
思いもよらない発想でした。
この難しい性格に原因があるという発想。
*
これを機に、私は「今の自分の性格は、どうしてこうなったのか」について向き合い始めます。