ドラマ「嫌われる勇気」第三話から読み解く〜劣等感の取扱い方
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こんにちは、ミサキです。
木曜日はドラマ「嫌われる勇気」第三話でした。
misakinha.hatenablog.com
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今回は「競争」の中で生きる人たちがテーマ。
刑事ドラマとしては一番面白かったものの、肝心の「アドラー心理学」の実践的なシーンがほとんどなく、ドラマの趣旨がぼやけてしまった印象を受けました。
とはいえ「劣等感」「競争」というテーマは、なかなか生々しく、ちょっと考えてしまうところも。
この二つについて、実体験を元に掘り下げてみようと思います。
劣等感には2種類ある
ドラマで大文字(椎名桔平)も語りましたが「健全な劣等感とは、理想の自分から生まれるもの」。
人は進歩しようとするのが本能です。
出来ない事を、出来るようになろうとする。
その過程において、望む自分に未だなれない状態で、未来の「理想の自分」に対して感じる劣等感は、成長を促す効果もあるのです。
これに対して、他者との比較から生まれる劣等感は、勝ち負けという意識を生みます。
大文字は「競争の中に身をおく人の心は休まることはありません。しかし、他者はあなたのことをそれほど気にしていません。」と語ります。
これは重要な指摘です。
「他者はあなたのことをそれほど気にしていません」。
それは、本当でしょうか?
競争は、だれもが経験してきている
競争社会。
学校教育などを通して、おそらく誰もがその洗礼を受けています。
能力は点数で測られ、順番に並べられる。
その順位に、一喜一憂する。
学校だけではありません。
私の場合、身近なところでは10年来通っているダンス教室という場で起こります。
そして、その劣等感に苦しんできました。
誰が発表会で良いポジションを取るのか。
誰が先生に、より気に入られるか。
私よりいい位置のあの子が、私より本当に上手いの?
こんなこと、とても口に出しては言えませんでした。
みんなで一緒に踊れれば、それで満足。
そう言ってきたし、そう思い込もうとしていた。
でも。
ポジションが発表されれば、少なからず思う。
「あの子は上手いから、あのポジション」。
そこに選ばれなかった自分に対しての、猛烈な落ち込みと、自己否定の嵐。
それは間違いなく、劣等感が生んだもの。
そして、元々持っているアダルトチルドレン気質から、ひとつ納得がいかないと、全てがダメなように思えてしまう。
自分なんかダメだ。
ダンスなんか続けて、どうするのか。
向いてない、やめた方がいいんじゃないか。
踊っていて楽しい事なんかほんの一瞬で、つらいことばかり。
そう、思ってきました。
それでもやめることも出来ず。
お稽古事というものは、こういうつらい鍛錬が必要なのだろうと思っていたのです。
でも。
全部、私が勝手に、一人で生み出した幻想でしかなかったのです。
あなたの顔を気にしているのは、あなただけ
ドラマでは蘭子にライバル意識を持つ監察医めい子が、大文字から言われるこの言葉。
これが、競争の真実です。
私の場合も、そうでした。
私が劣等感ゆえに、どんなに落ち込んでも。
他者からは、そこまで落ち込む理由は理解できません。
なぜなら、客観的に見ても、そこまで落ち込むほどの出来事は起きていないのです。
ポジションが取れなかったのは、確かにもっと上手い人がいるからかもしれないけれど、だからといって「出るな」と言われたわけでもないし、見せ場が全くない人などいないのです。
つまりそれは、自分の自意識が勝手に作り出した、ただの幻想でしかない。
誰も私のことなんか、ある意味関係ない。
競争すら起きていないのです。
人生は他者との競争ではない
確かに。
ダンスが上手ければ、いいポジションに配置されやすくなります。
勉強が出来れば、いい点数が取れるようになります。
でも、それはその人の個性。
それがない人には、また別の個性があるのです。
良し悪しではなく、違うというだけのこと。
そして人はみんな、違うけれど、対等なのです。
確かに、ダンスでいいポジションは取れないかもしれないけれど。
別の長所を、別の機会に生かせることは必ずあります。
また、「いいポジション」というけれど、複数で踊っている以上、全員が作品の一部であり、誰も欠けてはいけない。
これは「みんなで踊れれば満足」という事とは違います。
みんなで作っているという意識と、自分の役割を全うする事。
これは「共同体意識」に繋がるものです。
(ドラマでは、青山が監察医のめい子に言う「庵堂さんは仲間ですから」という台詞で描かれています)
これも、わかってはいたけど、心底思う事が出来なかった。
競争に囚われてしまっていたのです。
そして、いいポジションが取れなかったとしても。
ダンスを続ける理由は、そこではありません。
好きなダンスで、自分が、どのくらい進歩したか。
それが重要なのです。
いいポジションで踊ることが、ダンスの目的ではないのですから。
「いま、ここ」を生きれば、他者との競争など生まれないのです。
「いま、ここ」についてはこちらに書きました。
misakinha.hatenablog.com
競争を仕掛けられたら?
ただし、無理やり他者から競争を仕掛けられることもあります。
ライバル的存在から、いわばふっかけられたり。
教師などの管理者が、敢えてそれを仕組む場合もあるでしょう。
ドラマでは、女子高生の恵がその立場にありました。
そんな時どうするか。
「課題の分離」を思い出すことです。
この記事で「課題の分離」について少し書きました。
misakinha.hatenablog.com
最終的に起こりうる結果を引き受けるのは誰か?
その課題は、競争を仕掛けた方の課題で、こちらの課題ではないのではないか?
そう考えることで、競争の土俵から降りることができます。
そして、それは負けではないのです。
「競争は成立しない」というスタンスで、自分を守ることができるのです。
まとめ
「競争」というテーマは、誰にでも降りかかることで、とても重要です。
ただ、他者との比較は必要ではなく、自分の進歩だけ見ればいいという考え方は、「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」という、もはや使い古されつつあるフレーズと変わりません。
そんなことわかってるのに、心の底では消せない劣等感に苦しんでいる人が多いでしょう。
劣等感がなかなか消せない理由。
それは、ドラマの1、2話で出てきた「課題の分離」や「目的論」、また、「いま、ここを全力で生きる」という、アドラー心理学の基本的な部分を理解していないと難しいからではないでしょうか?
私の場合も、やはりアドラーをしっかり読み解き始めてから、ようやく劣等感から解放されつつあります。
もちろん、まだ試行錯誤ではありますが。
来週は「自由について」のようです。
これはアドラー心理学の肝なので、どう描くのか楽しみです。