「変わりたい」と「変えたい」、その大きな違いとは
こんにちは、ミサキです。
前回の記事にも書きましたが、私は自己評価が大変低く、そのことで随分と生きづらい日々を過ごしてきました。
というより、その状態が普通になりすぎて、楽しいという感覚が良くわからなくなりつつありました。
一時楽しいことがあっても、その中につらい事の種をすぐに見つけてしまったり、楽しむことに罪悪感を感じてしまったり。
でも、それは全て自分で勝手に作り出した思考の檻で、実際にはそんなことは思い込みでした。
そのことに気づいてから、様々な方法で自信を取り戻そうと奮闘しています。
ダイエット、ファッション、メイクなども、その方法の一つ。
それらを、このブログに綴っています。
「変わりたい」と思ってたけど
自信がない自分が嫌で、どうしても変わりたかった。
「変わりたい」と思って、色々な自己啓発方法をネットで探してもみました。
でも、なぜかうまくいかない。
うまくいきそうになるのに、また同じところに気持ちが戻ってきてしまう。
その繰り返しでした。
前向きになったかと思えば、同じような理由でまた気持ちが落ち込んでしまうのです。
ちっとも自信が持てるようにならない。
「何を試しても全然変わらないじゃない!」とイライラさえしました。
でも、ある時気づきました。
「変わりたい」じゃない、「変えたい」なんだ。
「変わる」と「変える」の違い
「変わる」と「変える」は些細な違いのようで、かなり大きな意味の違いがあります。
「変わる」は自然に任せていれば変化するだろうというニュアンス。
どちらかというと、人任せ。
この考え方だと、どんなメソッドやワークを行っても、「これをやれば変わるだろう」と方法に頼ってしまうので、実際変わらないとイライラする。
それに対して「変える」は自分の意志で変化させるイメージ。
どんな結果も、自分の責任として引き受ける準備があります。
「私は、自分を変える」と思ったら、空回りしていたワークやメソッドが腑に落ちました。
それらの方法を使って「変える」と思うと、今までより素直に真剣に取り組もうという気持ちになったのです。
「変わる」だとなぜ「変わらない」のか
そもそも、人は変わるのを嫌います。
「変わりたい」と思っていても、実はどこかで「変わりたくない」のです。
なぜなら、怖いから。
「変わる」とは、未知の世界に行くこと。
知らないことは無意識に怖いのです。
予想もできない怖さに比べたら、今のままの方がマシだと、どこかで思っていたり。
そうではないとしても、自分が変わるのではなく、周りが変わってくれたらいいのにと思いがちです。
ところが「変える」だと、そこに自分の意志が強く働きます。
未知の怖さも、意志の力があれば超えていける。
その位の強さが、「変える」という言葉にはあります。
「変える」という覚悟
実際なんとなくツラくても、今のままでいた方が当面はラクです。
なぜなら、変化には痛みが伴うから。
自分を変えるためには、まず自分を知る必要があります。
自分を直視するという作業は、思ったよりずっとつらい作業です。
見なかったふりをしてきた色々なことがあぶり出され、「なんでこんな思いしなきゃならないんだ」と思うこともあります。
それでも「変える」と決めたなら、嫌な自分も全部引き受ける覚悟が必要です。
結局、大事なのは、意志の力。
「変える」という、志です。
それさえあれば、きっと変わる。なりたい自分になれる。
私は、そう信じています。