セルフリライアンス〜もっと自分を好きになる方法

自己受容ナビゲーター。元アパレル勤務のアラフォーこじらせ女子・ミサキの、ダイエット、ファッション、メイク、ボディコンディショニングなどの体験記。コンプレックスを克服するためのライフハックなど。

無知は人を傷つけるのか?~人は違うという前提と、共感力について

にほんブログ村 ライフスタイルブログ なりたい自分へ
にほんブログ村
Amazonほしい物リスト、公開してます。 http://amzn.asia/4OoJE7u

こんにちは、ミサキです。


無知って、人を傷つけると思いますか?

自分はそんなつもりじゃなかったのに、知らないというだけで無神経な発言をしてしまうことって、ありますよね。

それを指摘されて、とても落ち込んでしまいました…。


無知による発言が誤解を生む

私はペーパードライバーで、もう10年近く運転していないため、車のことが全くわかりません。
元々やや方向音痴のため、駐車事情や車で行きにくい場所、街と街の位置関係など、ドライバーには常識的にわかることが、冗談かと思うくらいわからないのです。

そのため、途中でピックアップしてもらうのに、とんでもない場所を指定しようとしたり、パーキングメーターの仕組みがわからずに長話して相手をヒヤヒヤさせたりということを、知らず知らずにやってしまうようなのです。

その度に、こちらはそんなつもりではないのに「ワガママ」とか「空気読めない」と思われるらしく、そのことを知った時かなりショックを受けました。

相手からしてみれば「どうしてそんなことがわからないのか?とんでもなく自己中で、全然ドライバーのこと考えてない」となるようです。

ところが、こちらは本当にわからない。
土地の位置関係なんて、行ったことある場所の、ほんの限られた部分しか理解してない。
家の近所だって、普段歩く道の1ブロック先の事は全く知らないのです。
東京で言えば、山手線の駅の位置関係すら危うい。生まれてからずっと東京育ちにも関わらず、です。

感覚として、「電車は一定時間乗ると、行きたい別次元に移動する箱」とでも言えばいいでしょうか。
自分で歩くなり自転車に乗るなりしないと、地続きなイメージが作れない。
街と街が別次元のような感じです。
当然、地図上でどの辺とか、ほぼわからない。

この感覚なのに「ワガママ」と言われると、自分の無知は悪いことのように思えて、悲しくて途方に暮れてしまいました。

人には、違いがある

この事についてずっと考えていたら、ふと気づいたことがあります。


自分(達)にとっての常識は、他人の非常識かもしれない。
そこにあるのは単なる「知っているかどうか」の差でしかない。


例えば、やたらと声が大きい外国人観光客。
こちらはマナーとして不快に思うけれど、あちらの国ではそれが普通で「日本では良くないこと」という自覚は全くない、とか。

男と女の考え方の違い。
地域によって、全く違う風習。
どちらが正しい・正しくないということは一切無く、ただ違いがあるだけです。


それなのに。


自分と違うことを、責めたり怒ったりする。
違いがあることを前提にしていないがために、知らないからわからないことさえも、悪いことのように扱う。
責められた方に自信がないと、わけもわからず「自分が悪かったんだろうか」と落ち込んでしまう。

どうしてこんなことが起こるのでしょうか?

認知とリフレーミング

どんな物事も、事実はひとつしかありません。
でも、主観は人それぞれなので、その事実をどう認知するかによって、物事は違って見えるものです。


例えば先ほどの私の場合。
待ち合わせ場所を「当初の場所の隣の駅前に移動したい」と話しました。
隣の駅はターミナル駅で、待ち時間を潰すためのお店が多くありました。
私としては「隣の駅くらい、車ならすぐだろう」と思ったのですが、ドライバーにとっては「あんな駅前が混雑したところに廻せなんて、わがままだ」と思ったそうです。

物理的に隣の駅は近い。
でも、隣の駅が持つ意味は、お互いこんなに違う。
これが認知の差です。


この差を埋めるのは、コミュニケーションとリフレーミングです。
なぜ私が隣の駅とわざわざ言ったのか?
「時間を潰しやすい」という理由を先に言えばよかったのですが、そもそも「隣の駅は近い」という事実から、説明を省いてしまったのです。
ここに第一のコミュニケーション不足が発生します。

一方相手は、私が隣の駅と言った理由もわからず、「あんな混雑したところを指定するなんて、わがままだ」という認知をしてしまいます。

ここで必要だったのは「どうして隣の駅なのか?」を確認するコミュニケーションか、隣の駅にする理由を推察するリフレーミングです。
「わがまま」という認知をいったん置いて、事実を捉えなおすこと(リフレーミング)こそ相互理解の一歩だからです。

ところが、双方でこれを怠ってしまいました。
結果として、「わがまま」と言われた私は傷つき、相手は私に対して「理不尽で自己中」というイメージを持ちました。

根本原因は、共感力不足

認知の差を埋めるのは、コミュニケーションやリフレーミングであることはわかりましたが。
この現象が起きたそもそもの原因は、そこではないとも言えます。


なぜ、コミュニケーション不足になったのか?
それは共感力がうまく養われていないからでしょう。


共感力は、長く孤独でいると衰えるそうです。
孤独もまた本人の認知なので、家族と一緒に暮らしていても孤独を感じる場合はいくらでもあります。
私の場合、自分を認める「自己受容」が出来ず、「こんな自分はいつか嫌われて当然」という認知に囚われていたため、心のどこかにずっと孤独感がありました。


孤独でいると、人から理解されることを半ば諦めるので、コミュニケーション不足になります。
コミュニケーションしなければ、共感力は衰えます。
相手の立場で物を考える機会が減ってしまうからです。
自分の認知に閉じこもって、ますます孤独になる一方です。


でも。
共感力は、訓練すればスキルアップするそうです。
はじめは失敗して、傷つくこともあるけれど、必ず上達する。
いわば、心の筋トレが必要なのです。


大切なのは「自己受容」と、「心の応急処置」

ここまで書くのに、実は自分の気持ちがどうしようもなく落ちてしまっていたのですが。
書いているうちに、やはり「自己受容」が根本原因だと思い至り、やれやれといった心境です。
長期課題として「自己受容」は絶対に必要なのですが、早急に必要なのは「心の応急処置」だとわかりました。


ここで、この本をご紹介します。
まだ読み始めたばかりですが、こういう「実践書」をまさに求めていました。

NYの人気セラピストが教える 自分で心を手当てする方法

NYの人気セラピストが教える 自分で心を手当てする方法

昨年末のTED「感情にも応急手当が必要な理由」で話題になったアメリカの心理学者ガイ・ウィンチの本です。
TEDに肉付けしたような感じの内容です。



心から何かを求めていると、必要な時に、必要なものが自分の前に現れます。
引き寄せって、多分そういうことなのです。
私の場合、「自分を変えたい」と思って以来、必要な書籍が絶妙なタイミングで手に入ります。
この本がなかったら、もう少し落ち込みは長引いただろうと思います。


心の筋トレ、きちんと取り組んで生きたいと思います。
孤独でいるのは、やはり寂しいから。




Instagram


にほんブログ村

美容整形モニターになって別人になった男の話~コンプレックスの解消で、人は変われるのか?

にほんブログ村 ライフスタイルブログ なりたい自分へ
にほんブログ村
Amazonほしい物リスト、公開してます。 http://amzn.asia/4OoJE7u


こんにちは、ミサキです。

「自己肯定感の低さ」って、人によってどんな原因によるんだろう?とボンヤリ考えていたら、ある男のことを思い出しました。

その男は、美容整形で別人のような外見を手に入れました。
今日はその男のことを書いてみようと思います。

人生に迷うロッカー

彼は私が通っていたあるお教室の名物生徒でした。
彼は、レッスンがない時もよく教室にいたので、私とは本来接点がないのに顔見知りでした。

20代後半だった(と思う)彼は、一人暮らしのフリーターでした。
ブリーチしたロングヘア、夏でも革ジャンとヘビ柄のブーツを履いているような、10年近く前の当時でも絶滅危惧種のロッカーでした。
もっとも、「ロッカー」というのは私の勝手な思い込みで、そういうスタイルはもしかしたらメタルかもしれないしパンクかもしれない。
でも私には区別がつかないので「ロッカー」だと思っていました。


そう、私にはどうでもよかったのです。
なぜなら、私は彼のことがあまり好きではなかったから。

彼の話し方と、話す内容がどうにも受け付けられませんでした。
「コミュ障」という言葉がピッタリの話し方なのです。
今なら彼がADHDかも?と思えるのですが、当時の世間は今よりずっと多様性に対しての理解がなかったので、そういう人への知識も私には全くありませんでした。

当時の私は20代、しかも自意識過剰で出来ているアパレル業界勤務。(だからこそ出来る仕事でもありますが)
気持ち悪い話し方に、理解不能なセンス、しかも清潔感がない。
どこにも好意的に見る要素がないように見えました。


しかも人づてに聞いた話では、彼には随分年上の「彼女」がおり、彼女の呼び出しにいつでも応じる代わりにお小遣いを貰っているという。

つまり、ヒモ。


その生き方、全く理解できない。
フリーターだが夢があるわけでもなく、女からカネを貰って生きているような男は、当時の私には価値のない人間にすら思えたのです。

ロッカー、美容整形モニターになる

ある日、こんなウワサを耳にしました。

あのロッカー、整形したらしいよ。
しかもビフォーアフターを雑誌に載せるモニターになる代わりに、顔面フルコースでやったらしい。
普通にやると、100万は下らないくらいのいじり方だってさ。


その彼は、今度教室の飲み会に来るらしい。
誰もが、その整形後の彼を、怖いもの見たさで待ちわびました。


「でも、そんなに顔面全部いじってたら、誰だかわかんないんじゃない?」なんていう人もいたりしたけれど。
そんな心配は無用でした。
なぜなら、印象がまるで変わらなかったのです。

現れた整形ロッカー

会場に現れた彼は、スッキリめのイケメンになっていました。
鼻筋はスッと通り、腫れぼったく見えた一重はくっきり二重に。
だらしなく見えた口元も締まってます。
髪は今風に切られ、さわやかな印象。

だけど。

どうもモヤモヤする。


顔は確かに変わった。
前は確かにどちらかといえばブサ顔だったけど、その面影はない。


でも。
私はしばらくして、そのモヤモヤの原因に思い当たった。


根本的に何も変わってない。


まず、服が同じ。
革ジャンこそなかったが、ブーツはそのままだったし、よくわからない柄の謎でハードなシャツも、確かに彼のセンスです。

そして何より、しゃべり方は何ひとつ変わってない。

そのせいで、全く印象がリフレッシュされないのです。
話す内容も卑屈でめんどくさくて、せっかくのイケメンが台無し。

「意味ない!整形しても意味ない!」

酔った私は本人に聞こえる音量でそう話し続け、当然本人の耳に入り、キレた男に殴りかかられそうになったらしいのですが、周りの静止が素晴らしかったのか、私はそんなこと全く気づきませんでした。


私も相当ひどかったと思うけれど、整形までして自分に自信が持てないのはどうだろう?とは正直思うのです。
でもきっと、彼からしたら、そこにすがるしかなかったのでしょう。

その後のロッカー

それ以来、彼を見たことはありません。
風の噂で、大阪に行ったらしいと聞いたけど、真偽もよくわかりません。
でも、もし人生をリスタートするなら、過去を知る人がいない土地の方がいいだろう。
ボンヤリそう思ったことは覚えています。

コンプレックスは根本的原因ではないのかも

この話に教訓があるとすれば。
身体的なコンプレックスは、自己肯定感の低さの根本原因ではないということ。
恐らく彼もそのことに気づかずに整形したのでしょう。

でも、整形しても、彼は彼のままだった。
劇的な方法でコンプレックスを解消したのに、根本的な自信のなさは無くならない。
だからこそ、私に殴りかかろうとしたのでしょう。



私は整形を否定するわけではないのです。
よくテレビで、整形して変身するバラエティーをやっているけれど、そこに出てくるような、人から二度見されるような変わったパーツを持って生まれてしまった場合、それを無くすことで前向きになれることもあると思います。
プチ整形程度なら、美容や化粧と同じ感覚かもしれない。

でも、人相がまるで変わってしまうような整形をして、果たして本当に「なりたい自分」になれるでしょうか?


…恐らく、ほぼ不可能です。


人相が変わるほどの整形は「別人」になることを意味します。
それはつまり、今までの自分を完全に否定することです。

そんなことが、果たして出来るでしょうか?


恐らくほとんどの人は、今までの自分を否定する過程が耐えられないはずです。

コンプレックスに悩む人が本当に望んでいるのは、自分を認め、受け入れられるようになること

この事実にたどり着ければ、そこから人は変われます。
身体的コンプレックスと自己肯定感の低さは、イコールではないのです。


ただ、この二つは密接に繋がっていたり、絡まっていたりするので、違いを見極めるのがとても難しい。


でも、見分け方はもちろんあります。
それは、コンプレックスが解消した自分を出来るだけ具体的にイメージしてみること。


現実的に実現可能かどうかは、考えません。
ただ、イメージする。想像する。コンプレックスがなくなった自分を。
その自分がどう振舞うのか。何を考え、何を感じるのか。


それが「なりたい自分」と一致していたら、そのコンプレックスは解消すべきでしょう。
くっきりした二重になった自分を想像し、そうなることが心から幸せだと感じられるなら、二重にしたらいいのです。
痩せた自分が最高に好きになれそうなら、ダイエットすればいい。



でも、もしうまく想像できなかったら?
その場合、自分が思っているコンプレックスは、根本的な原因ではない可能性が高いのです。
ちなみに整形ロッカー氏も、どちらかといえばブサ顔でしたが、二度見するほどのブサではありませんでした。
どちらかというと清潔感の無さが問題で、整形しなくても改善できる範囲内だったように思います。
ただ、誰も彼にそう告げる人がいなかったのでしょう。


必要なのは、自分を見つめる勇気

結局、いずれにせよ必要なのは、自分を徹底的に見つめることなのです。
今感じている卑屈さ、みじめさ、劣等感の原因が何なのか、それを突き止めなければ、いつまでも変われません。

身体的コンプレックスのせいにするのは、ある意味「逃げ」です。
自分の意思で選んだのではない身体を呪い続けることで、変われない自分を正当化することになりかねません。

問題は、これからどうするか。
与えられた物を最大限活かすには、どうしたらいいのか。
そのためにはまず、自分を徹底的に見つめ、知ることが必要です。



今なら、彼にそう言えるのですが。
あの時はわからなかったこと。

だから、彼の予備軍に伝わるといいなと思って、書いてみました。
彼はどうしてるかな。幸せになっているといいなあ。










Instagram


にほんブログ村

仮想とリアルの融合〜例えばこんなオフ会のススメ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ なりたい自分へ
にほんブログ村
Amazonほしい物リスト、公開してます。 http://amzn.asia/4OoJE7u


こんにちは、ミサキです。

メンタル系はてなブログ仲間のAyumiさんと、ランチオフ会してきました。
Ayumiさんのブログは自分の今を真摯に見つめていて、いつも共感と励ましをもらえるのです。
Ayumiさんのブログはこちら。
www.amuharaliving.net

ランチオフ会は「たまな食堂」で

Ayumiさんのようなかわいらしい女子とランチなら、というわけで、女子らしいオシャレオーガニックレストランを目指したのですが、すごい行列!
さすがに待てないので、候補の中にピックアップしてあった別のお店に。

「たまな食堂」「有機野菜と発酵食の健康レストラン」を謳っているだけあって、なんとも身体に優しいお食事が魅力。
お野菜と玄米ご飯の素朴な美味しさが、とてもいい。
オシャレというよりは落ち着く店内は、客層も落ち着いていて、男性もチラホラ。
結果としてこちらで大正解でした。
「素材が良いもの、身体に良いものを、感謝して頂く」という雰囲気を感じます。
nfs.tamana-shokudo.jp

美味しいだけじゃなく、身体に良いものを頂くことは、自分に優しくすることでもあります。
後から考えると、私たちのテーマ「自分を受け入れて、もっと自分を好きになる」にはもってこいだったかも。

頂いた「たまな定食」、美味しかった!

アフターランチはcafe風花で

お食事のあとは、近くにたまたま見つけたcafe風花でお茶。
www.kaza-hana.jp

森の隠れ家のような外装、店内も森の中のようで素敵。
ハーブティーの種類がすごく豊富です。
ここは穴場かも。
ベイクドチーズケーキ、美味しかったです。

プレートにチョコで描いてある花がカワイイ。

初対面の印象

元々ブログでコメントなどをやりとりしていたので、初対面の抵抗感はあまりありませんでした。

Ayumiさんとは年齢ギャップがひと回り以上あるため、退屈させてしまわないかな?と心配していましたが、多分大丈夫でした(よね…?、笑)
綺麗で可愛くて、まだ20代で、素敵なご主人がいて、人から見れば完璧に幸せに見えるのに、全然奢ったところがなくて、自分の課題に真剣に取り組んでいて、話していても本当に聡明で、素晴らしい方でした。

お互いにブログで顔出しをしてるのも、安心感に繋がったように思います。
文章から予想はしてましたが、とても気配りできる女性で、やや控えめにすら見えるのに、きちんと自分の意見もしっかりお話しされるところが本当に素敵。
お会いできて良かったです!


最後にパチリ☆


オフ会の良かった点

メンタル系の悩みというところで、共通したテーマのブログを書く私達。
近い友人などには話しにくいことも、迂回することなくどんどん話せるのが、何より気持ち良かったです。
アドラーアダルトチルドレン、カウンセリングという単語を、全く気遣いも抵抗もなく使って話せるというのは、考えてみれば初めてのことだったかもしれません。
初めて会ったにも関わらず、深いテーマで話し続けて、解散の頃にはすっかり仲間のような気分に。

ネット上の交流だけでも、本当にお世話になってるなあと思ってはいましたが、リアルでお会いしたことでより仲間意識のようなものを強めることが出来たと思います。

仮想とリアルを融合させて、奇跡を形にする

仮想と、リアル。
人によっては、ブログ上で別の人格を演出していることもあるでしょう。
あるいは、リアルで吐き出せないものをブログに書くことで、何とか自分を守っていることも。

でもネットの先には、やはり生身の人間がいます。
仮想現実といいつつ、それを綴るのはリアルで生々しい人そのもの。


それなら、惹かれる人には、一歩進めて会ってみたら、世界が広がると思うのです。
今回のAyumiさんとのオフ会のような、一対一でなくてもいいのですが。
共感しあえる人たちとリアルに会えたら、それってすごい運命的な出会いになるような気がします。

ブログやネットがなかったら、絶対に会うことがなかった人。
でも、この数えきれないほどあるブログの中から、たまたま見つけて、読むようになった。
それだけでも奇跡的なこと。
ならばその奇跡を、リアルに会えたら、もっと確固たるものに変わるんじゃないだろうか?

そんな風に思うのです。


人数少なめでランチ会とか、私はやってみたいのですが。
需要、ありますかね…?





Instagram


にほんブログ村

死にたくなる理由〜アダルトチルドレン、私の場合⑤

にほんブログ村 ライフスタイルブログ なりたい自分へ
にほんブログ村
Amazonほしい物リスト、公開してます。 http://amzn.asia/4OoJE7u

こんにちは、ミサキです。




たまに、死にたくなることがある。


とはいっても、行動に移したことはない。
せいぜい浅くリスカするとか、刃物を持って死ぬと脅すとか、そんな程度だ。
こんなものは「死のうとしてる」うちには入らない。
どちらかというと「私なんかいらない」という感じに近い。



では、何でこんなことになるのか。



きっかけはいつも、本当に大したことではない。
共通しているのは、自分が心を傾けている人から、何かを指摘されたり、咎められたりした時。
相手は恋人だったり、先生だったり、色々だ。
ひどく怒られるというのではなく、相手が自分のためを思って、ちょっとたしなめる程度のことがほとんどだと思う。


それなのに、そんな時はいつも、私はひどく過敏に反応してしまう。
まるで自分の全人格を否定されたように感じるのだ。
些細なことであればなおさら、そんなことにも気づけなかったことが致命的に思えてしまう。


私なんか、いらない。
この世に、無駄な存在。
人に迷惑ばかりかけて、生きてても邪魔なだけ。


そういう気持ちで、胸がいっぱいになる。



かといって、実際に死のうという気力がない。
本気で死のうとすれば、それはかなりのエネルギーを使わねばならず、そこまでのエネルギーがない。
だからジタバタと適当に暴れて、この悲観でいっぱいになった心を誰かにぶちまけては、どうせ私なんか一人で生きるしかないんだと言って泣く。
迷惑この上ないし、言った方はまさかそんなつもりじゃないから、ただ驚いて困惑するばかりだ。
言われた人のことを思うと、本当に気の毒でならない。



そういう時、いつもよぎる考えがある。
親が死ぬまで生きる。
親が死んだら、私も死ぬんだ。
だって、私が死ぬことを本当に悲しむのは親だけだから。
あの人たちを、悲しませたくない。



私の13歳年上の兄は、もともと病弱に生まれ、26歳で死んだ。
脳溢血で、あっけなかった。
当時中学生だった私は、兄の死そのものよりも、焼き場で泣く両親を見たことのほうがつらかった。
子に先立たれる、親の悲しみ。
この人たちに、もうこんな思いを二度とさせてはいけない。
私はその時、無意識にそう決意したようだ。



だけど一方で、私がことあるごとに無価値感の発作に襲われ、死にたいと取り乱す原因もまた、おそらく両親なのだ。
兄と、やはり年の離れた姉がいるが、この二人は両親にとって手がかかる子供だった。
幼い私は、それを敏感に感じ取り、出来るだけ手がかからないように振舞った。

他にもいろいろ原因はあるが、こうして典型的なアダルトチルドレンになった私は、大事な人の迷惑にならないようにと思うあまり、
冒頭のように爆発してしまうことがあるのです。

misakinha.hatenablog.com

misakinha.hatenablog.com

misakinha.hatenablog.com



まるで爆弾のような私。

しかも、大事に思う人にだけぶつけてしまうという厄介な爆弾なので、まともな人間関係が築けない。
自分を信用できないから、人のことも信じられず、些細な言葉が裏切りのように思えてしまう。


ウンザリする。心底。


随分とメンタルトレーニングをしてきて、だいぶマシになってきていたのだけど、やはりまだ発作的に現れてしまう。
こうして冷静になれば、その原因もわかるのだけど、感情に支配されてしまうと頭の中が暴風雨のようで、正しい回路が見つけられなくなってしまう。


もっと、自分を受け入れたい。
もっと、自分を信用したい。
もっと自分を好きになって、自分と同じように人を好きになりたい。


今はただ、そのために日々覚悟を決めるしかない。
今までしてしまったことは、もう取り返しがつかないかもしれないけど。
40年近く私を縛ってきた鎖の強固さに、今はただ、ため息をつくばかりだ。




Instagram


にほんブログ村

承認欲求のトリセツ~「褒められたい」と「認められたい」は違うもの

にほんブログ村 ライフスタイルブログ なりたい自分へ
にほんブログ村
Amazonほしい物リスト、公開してます。 http://amzn.asia/4OoJE7u


こんにちは、ミサキです。

みなさん、承認欲求ありますか?
アドラー心理学「嫌われる勇気」で真っ向から否定される承認欲求。
でも、そもそも承認欲求ってなんでしょう?

認められたい?褒められたい?

承認欲求を調べると「他者から認められたいこと」という解説がほとんどです。
でも、認められたいって具体的にどういうことでしょう?



例えば、SNSイイね!の数。
誰かから褒められたいという気持ち。
人より目立ちたい願望。
何度でも愛情を確認したくなる衝動。




これらは全て承認欲求と言われますが、掘り下げると微妙に違うのです。

褒められたい、目立ちたいという気持ち。

これは競争や劣等感を生みます。
なぜならこの気持ちは、他者より優れたり、目立つ事に注目してしまうからです。
褒められなければ、他者より劣っているのではないか?
この疑心暗鬼が競争へと駆り立て、休まることのない日々に没入していってしまうのです。


人生は、他者との競争ではありません。
競争、劣等感については、前回の記事に詳しく書きました。
misakinha.hatenablog.com


では、認められたいとは?

私を見て欲しい。わかってほしい。
これは「褒められたい」とは違います。



「良く出来たね」ではなく「頑張ったね」と言われたい。
「すごく良かった」ではなく「素敵だった」と言われたい。



一見わかりにくいけれど、実は大きな違いがあるのです。

勇気づけ、もしくはアクノレッジメント

アドラー的に言えば、「褒める」は縦の関係に基づいて行われます。
褒める側は、褒められる側を自分より低く見ている前提があります。

「良く出来たね!」
「上手だったね!」
「良かったよ!」


これらの褒め言葉って、上から発せられてるような気がしませんか?

そんなことない、自分は相手の何かに感動したときに「良かった」と言っている、という人もいるでしょう。
言葉の揚げ足取りかもしれません。

でも、期待を上回ったときしか「良かった」って言わないと思いませんか?

期待と言うのは、相手を評価しようとする姿勢でもあります。
評価というのは、意識のどこかで縦の関係を相手に持ち込んでいるのです。
思い当たるところはありませんか?



これに対し、横の関係で行われるのが「勇気づけ」です。
横の関係とは、相手と対等であるというスタンスです。
これは親子や上司・部下などの関係でも成立します。
対等であるには、相手に対する尊重が必要です。

「勇気づけ」という言葉はアドラー心理学の用語ですが、コーチングでは「アクノレッジメント」という方法がよく似ています。

アクノレッジメント(承認)とは、相手に現れている変化や違い、成長や成果にいち早く気づき、それを言語化して相手にはっきり伝えることです。
(中略)
アクノレッジメントは、褒めることや賞賛とはイコールではありません。
褒め言葉や賞賛も相手のモチベーションを高める効果がありますが、相手に対する評価が加わるため、人によっては受け取りにくかったり、それがないとやる気がでないというような「アメとムチ」構造の「アメ」になってしまいます。
一方、アクノレッジメントは変化や成果を事実として伝えます。

アクノレッジメントの例には
「結論から話すようになったね」
マーケティングの勉強も始めたんだね」
「この1年、目標を達成し続けているね」
などがあります。

https://allabout.co.jp/gm/gc/297573/5/



つまり、「あなたのこと、ちゃんと見てるよ」と伝えること。
これがアクナレッジメントの基本です。


「つらかったね」
「がんばったね」
「素晴らしかった」
「ありがとう」


例えばこんな言葉。
これこそ「勇気づけ」であり「アクノレッジメント」になるのです。


認められるには、まず相手を認めること

「褒められたい」ではなく「認められたい」という欲求を満たすには、何よりも自己受容が大切です。

自己受容。
自分を認め、許すこと。
人から褒められたいという気持ちを放棄して、ありのままの自分でいいのだと思うこと。


これが、難しい。


でも、これを助ける方法が一つあります。

それは、まず他者を認めることです。
これに近い事を、以前記事に書いてます。

misakinha.hatenablog.com


このことを端的に描いたショートフィルムがあります。

Validation(承認)日本語字幕付きフルバージョン

16分のショートフィルム。

クリーブランド国際映画祭で最優秀短編物語を受賞。
ジェンアートシカゴ映画祭で審査員賞を受賞。
ハワイ国際映画祭で観客賞を受賞。
フィルムで最優秀短編コメディのブリッケンリッジ祭受賞。
ハートランド映画祭で最優秀短編映画&観客賞。
クリスタルハート賞を受賞。
ウィリアムズタウン映画祭でクリストファー&ダナ·リーブの観客賞を受賞。
ダム短編映画祭で最優秀コメディを受賞。
セドナ国際映画祭で最優秀短編

と数々の賞も受賞しています。

ある青年が、人々を「承認」していくことで、世界を変え、笑顔でいっぱいにしていく物語。
青年の行う「承認」は、「褒める」というより「勇気づけ」「アクノレッジメント」に近い意味合いに取れます。
(なぜなら、青年が褒める人々はほぼ初対面で、そこに縦の関係が存在し得ないからです)
人々に与え続けた青年は、一度は自信を無くしますが、人を笑顔にすることで自己受容を獲得し、最後には…。
(結末はぜひ、ムービーを見てくださいね!)


まず、人を認めること。
声に出して、「あなたを見てるよ」って伝えること。
それは確実に「自己受容」に繋がる一歩です。

まとめ

承認欲求といっても、その内実は少なくとも2種類あります。

●褒められたい欲求
●認められたい欲求

「褒められたい」は、出来る限り手放した方が、あとあと楽になれます。
その瞬間は嬉しいのですが、「期待にこたえなきゃ」という気持ちが芽生える事で、あとからそれがジワジワと自分を縛るようになるからです。

「認められたい」は、自己受容を促す事で解消できます。
もともと自己受容出来ていない人にとって、これはとても難しいもの。
そのためにまずは「他者を認める」ということから始めてみるのがオススメです。


世界を変えるのは、自分から。
「承認されたい」から「承認します」にシフトするだけで、あなたの世界は変わりますよ!





Instagram


にほんブログ村

ドラマ「嫌われる勇気」第三話から読み解く〜劣等感の取扱い方

にほんブログ村 ライフスタイルブログ なりたい自分へ
にほんブログ村
Amazonほしい物リスト、公開してます。 http://amzn.asia/4OoJE7u

こんにちは、ミサキです。

木曜日はドラマ「嫌われる勇気」第三話でした。

misakinha.hatenablog.com
misakinha.hatenablog.com



今回は「競争」の中で生きる人たちがテーマ。
刑事ドラマとしては一番面白かったものの、肝心の「アドラー心理学」の実践的なシーンがほとんどなく、ドラマの趣旨がぼやけてしまった印象を受けました。

とはいえ「劣等感」「競争」というテーマは、なかなか生々しく、ちょっと考えてしまうところも。
この二つについて、実体験を元に掘り下げてみようと思います。

劣等感には2種類ある

ドラマで大文字(椎名桔平)も語りましたが「健全な劣等感とは、理想の自分から生まれるもの」。
人は進歩しようとするのが本能です。
出来ない事を、出来るようになろうとする。
その過程において、望む自分に未だなれない状態で、未来の「理想の自分」に対して感じる劣等感は、成長を促す効果もあるのです。

これに対して、他者との比較から生まれる劣等感は、勝ち負けという意識を生みます。
大文字は「競争の中に身をおく人の心は休まることはありません。しかし、他者はあなたのことをそれほど気にしていません。」と語ります。

これは重要な指摘です。
「他者はあなたのことをそれほど気にしていません」。

それは、本当でしょうか?

競争は、だれもが経験してきている

競争社会。
学校教育などを通して、おそらく誰もがその洗礼を受けています。
能力は点数で測られ、順番に並べられる。
その順位に、一喜一憂する。


学校だけではありません。

私の場合、身近なところでは10年来通っているダンス教室という場で起こります。
そして、その劣等感に苦しんできました。


誰が発表会で良いポジションを取るのか。
誰が先生に、より気に入られるか。
私よりいい位置のあの子が、私より本当に上手いの?


こんなこと、とても口に出しては言えませんでした。
みんなで一緒に踊れれば、それで満足。
そう言ってきたし、そう思い込もうとしていた。

でも。

ポジションが発表されれば、少なからず思う。
「あの子は上手いから、あのポジション」。
そこに選ばれなかった自分に対しての、猛烈な落ち込みと、自己否定の嵐。
それは間違いなく、劣等感が生んだもの。
そして、元々持っているアダルトチルドレン気質から、ひとつ納得がいかないと、全てがダメなように思えてしまう。



自分なんかダメだ。
ダンスなんか続けて、どうするのか。
向いてない、やめた方がいいんじゃないか。
踊っていて楽しい事なんかほんの一瞬で、つらいことばかり。


そう、思ってきました。
それでもやめることも出来ず。
お稽古事というものは、こういうつらい鍛錬が必要なのだろうと思っていたのです。


でも。

全部、私が勝手に、一人で生み出した幻想でしかなかったのです。

あなたの顔を気にしているのは、あなただけ

ドラマでは蘭子にライバル意識を持つ監察医めい子が、大文字から言われるこの言葉。

これが、競争の真実です。
私の場合も、そうでした。


私が劣等感ゆえに、どんなに落ち込んでも。
他者からは、そこまで落ち込む理由は理解できません。
なぜなら、客観的に見ても、そこまで落ち込むほどの出来事は起きていないのです。

ポジションが取れなかったのは、確かにもっと上手い人がいるからかもしれないけれど、だからといって「出るな」と言われたわけでもないし、見せ場が全くない人などいないのです。

つまりそれは、自分の自意識が勝手に作り出した、ただの幻想でしかない。

誰も私のことなんか、ある意味関係ない。
競争すら起きていないのです。


人生は他者との競争ではない

確かに。
ダンスが上手ければ、いいポジションに配置されやすくなります。
勉強が出来れば、いい点数が取れるようになります。

でも、それはその人の個性。
それがない人には、また別の個性があるのです。
良し悪しではなく、違うというだけのこと。
そして人はみんな、違うけれど、対等なのです。


確かに、ダンスでいいポジションは取れないかもしれないけれど。
別の長所を、別の機会に生かせることは必ずあります。

また、「いいポジション」というけれど、複数で踊っている以上、全員が作品の一部であり、誰も欠けてはいけない。
これは「みんなで踊れれば満足」という事とは違います。
みんなで作っているという意識と、自分の役割を全うする事。
これは「共同体意識」に繋がるものです。
(ドラマでは、青山が監察医のめい子に言う「庵堂さんは仲間ですから」という台詞で描かれています)
これも、わかってはいたけど、心底思う事が出来なかった。
競争に囚われてしまっていたのです。


そして、いいポジションが取れなかったとしても。
ダンスを続ける理由は、そこではありません。

好きなダンスで、自分が、どのくらい進歩したか。
それが重要なのです。
いいポジションで踊ることが、ダンスの目的ではないのですから。
「いま、ここ」を生きれば、他者との競争など生まれないのです。

「いま、ここ」についてはこちらに書きました。
misakinha.hatenablog.com


競争を仕掛けられたら?

ただし、無理やり他者から競争を仕掛けられることもあります。
ライバル的存在から、いわばふっかけられたり。
教師などの管理者が、敢えてそれを仕組む場合もあるでしょう。
ドラマでは、女子高生の恵がその立場にありました。

そんな時どうするか。

「課題の分離」を思い出すことです。

この記事で「課題の分離」について少し書きました。
misakinha.hatenablog.com



最終的に起こりうる結果を引き受けるのは誰か?
その課題は、競争を仕掛けた方の課題で、こちらの課題ではないのではないか?
そう考えることで、競争の土俵から降りることができます。
そして、それは負けではないのです。
「競争は成立しない」というスタンスで、自分を守ることができるのです。

まとめ

「競争」というテーマは、誰にでも降りかかることで、とても重要です。
ただ、他者との比較は必要ではなく、自分の進歩だけ見ればいいという考え方は、「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」という、もはや使い古されつつあるフレーズと変わりません。
そんなことわかってるのに、心の底では消せない劣等感に苦しんでいる人が多いでしょう。


劣等感がなかなか消せない理由。
それは、ドラマの1、2話で出てきた「課題の分離」や「目的論」、また、「いま、ここを全力で生きる」という、アドラー心理学の基本的な部分を理解していないと難しいからではないでしょうか?


私の場合も、やはりアドラーをしっかり読み解き始めてから、ようやく劣等感から解放されつつあります。
もちろん、まだ試行錯誤ではありますが。


来週は「自由について」のようです。
これはアドラー心理学の肝なので、どう描くのか楽しみです。






Instagram


にほんブログ村

周りの人の良いところをを見つけよう!~引き寄せの法則で自己肯定感UP

にほんブログ村 ライフスタイルブログ なりたい自分へ
にほんブログ村
Amazonほしい物リスト、公開してます。 http://amzn.asia/4OoJE7u

こんにちは、ミサキです。

このブログの中で、何度も取り上げてきた「自己肯定感」

私はこれが低いために、人間関係のトラブルや、メンタルの乱高下に苦しんできました。

些細なことで、「自分なんかもうダメだ、世の中に必要がない人間だ」と異常に落ち込んだり。
身近な人からのちょっとした指摘を、まるで全人格否定されたように感じて取り乱したり。


こういう自分は「感受性が強すぎ」「こじらせてる」という性格なのだと思ってきました。


でも、ある時、ネットで知ったアダルトチルドレン(AC)の特徴。

そのほとんどが当てはまっていること。
そして、育ってきた環境の中に、思い当たる節があること。

それを見て、自分の性格がこじらせているのではなく、幼少期の体験から身についた、思考の癖によるものだとわかりました。
misakinha.hatenablog.com



そして、その癖を直していくのに必要な、自己受容というプロセス。
自分を認め、許す。
そして、自己肯定感を高めていくこと。


生きづらさを解消するには、それが必要なのだとわかりました。

misakinha.hatenablog.com



自己受容する方法は様々です。
その方法としての身体ケアについては、何度も書いてきました。

misakinha.hatenablog.com
misakinha.hatenablog.com


今日はもっと手軽に出来る方法をひとつ。
それは、周囲の人の良さを見つけて、伝える事です。

周囲に集まる人は、自分が引き寄せている

これは引き寄せの法則でよく述べられる事です。
にわかには信じがたいかもしれませんが、これ、絶対本当です。
「縁」という言葉は、この現象を言い表していると、私は思います。


周囲の良い人も嫌な人も、自分の何かが引き寄せたもの。
そうじゃなければ、自分とその人たちはなぜ何故関わっているのでしょう?


「たまたま職場の同僚だから」「偶然同じ趣味だったから」など、一見引き寄せを信じられないケースもありますが。
よくよく考えれば、その職場を選んだのも、あなたが選んだ必然故のこと。



また逆に、なぜ離れていく人がいるのでしょう?

例えば、ある時期とても仲が良かったのに、いつの間にか疎遠になってしまった友達。
ケンカしたわけでもなく、ちょっとしたライフスタイルの変化こそあれ、疎遠になる理由すら思いつかない場合もありますよね?
 


それはおそらく、お互いの役割を終えたのです。



周りの人は、自分が引き寄せている。だとしたら。



嫌な人のことは、いったん置いておいて。
良い人、好きな人、大事な人のことを考えてみます。


自分の周りの素敵な人の、良いところを挙げてみよう


その人は、どんなところが素敵ですか?
その人の、どんなところが好きですか?

思いつくところを、どんどん挙げてみましょう。



人懐っこい笑顔がカワイイ。
整えられた指が素敵。
すべすべの肌がキレイ。
豪快な笑い声が気持ち良い。
いつも似合う服を着ていてかっこいい。
髪がサラサラで素敵。



思いつく限り、いくつでも。



そして、思い出して下さい。
素敵なその人は、あなたが引き寄せたのです。
今のあなたにとって必要な人だから、あなたと関わっているのです。

その素敵な人を引き寄せた自分。
何だかちょっと、いいなあって思いませんか?

人に喜ばれると、自分が好きになる

そして、いくつか挙げた素敵なところを、ひとつでもいいから本人に伝えてみましょう。

きっと、喜んでくれます。
驚くかもしれません。
そんな顔を見てると、言ったあなたもきっと嬉しくなります。


人に喜ばれると、自分のことが少し好きになります。
言った方も言われた方も、どちらも幸せになる、魔法の言葉です。


ただし、一つだけ注意。

人を喜ばせるのが、本来の目的ではありません。
それはあくまで、素敵なところを探して見つけた、その副産物。
大事なのはあくまで、周りの人の素敵なところを見つけることです。
これを忘れると、喜ばせたい気持ちのあまり、大して思ってもいないことを言ってしまったりする危険があります。
そうすると、ただのお世辞になってしまい、逆効果です。

まとめ

私のように、自己肯定感が低くて、なかなか自分を好きになれなかったら。
まずは周りの人たちを、今よりもっと好きになってみましょう。

自分は好きな人に囲まれている。
それは、自分が引き寄せたから。

こんなやり方なら、無理に「自分を好きになる!」と頑張らなくても、きっと少しは自分を認められる。
そんな気がしませんか?




Instagram


にほんブログ村