セルフリライアンス〜もっと自分を好きになる方法

自己受容ナビゲーター。元アパレル勤務のアラフォーこじらせ女子・ミサキの、ダイエット、ファッション、メイク、ボディコンディショニングなどの体験記。コンプレックスを克服するためのライフハックなど。

仮想とリアルの融合〜例えばこんなオフ会のススメ

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こんにちは、ミサキです。

メンタル系はてなブログ仲間のAyumiさんと、ランチオフ会してきました。
Ayumiさんのブログは自分の今を真摯に見つめていて、いつも共感と励ましをもらえるのです。
Ayumiさんのブログはこちら。
www.amuharaliving.net

ランチオフ会は「たまな食堂」で

Ayumiさんのようなかわいらしい女子とランチなら、というわけで、女子らしいオシャレオーガニックレストランを目指したのですが、すごい行列!
さすがに待てないので、候補の中にピックアップしてあった別のお店に。

「たまな食堂」「有機野菜と発酵食の健康レストラン」を謳っているだけあって、なんとも身体に優しいお食事が魅力。
お野菜と玄米ご飯の素朴な美味しさが、とてもいい。
オシャレというよりは落ち着く店内は、客層も落ち着いていて、男性もチラホラ。
結果としてこちらで大正解でした。
「素材が良いもの、身体に良いものを、感謝して頂く」という雰囲気を感じます。
nfs.tamana-shokudo.jp

美味しいだけじゃなく、身体に良いものを頂くことは、自分に優しくすることでもあります。
後から考えると、私たちのテーマ「自分を受け入れて、もっと自分を好きになる」にはもってこいだったかも。

頂いた「たまな定食」、美味しかった!

アフターランチはcafe風花で

お食事のあとは、近くにたまたま見つけたcafe風花でお茶。
www.kaza-hana.jp

森の隠れ家のような外装、店内も森の中のようで素敵。
ハーブティーの種類がすごく豊富です。
ここは穴場かも。
ベイクドチーズケーキ、美味しかったです。

プレートにチョコで描いてある花がカワイイ。

初対面の印象

元々ブログでコメントなどをやりとりしていたので、初対面の抵抗感はあまりありませんでした。

Ayumiさんとは年齢ギャップがひと回り以上あるため、退屈させてしまわないかな?と心配していましたが、多分大丈夫でした(よね…?、笑)
綺麗で可愛くて、まだ20代で、素敵なご主人がいて、人から見れば完璧に幸せに見えるのに、全然奢ったところがなくて、自分の課題に真剣に取り組んでいて、話していても本当に聡明で、素晴らしい方でした。

お互いにブログで顔出しをしてるのも、安心感に繋がったように思います。
文章から予想はしてましたが、とても気配りできる女性で、やや控えめにすら見えるのに、きちんと自分の意見もしっかりお話しされるところが本当に素敵。
お会いできて良かったです!


最後にパチリ☆


オフ会の良かった点

メンタル系の悩みというところで、共通したテーマのブログを書く私達。
近い友人などには話しにくいことも、迂回することなくどんどん話せるのが、何より気持ち良かったです。
アドラーアダルトチルドレン、カウンセリングという単語を、全く気遣いも抵抗もなく使って話せるというのは、考えてみれば初めてのことだったかもしれません。
初めて会ったにも関わらず、深いテーマで話し続けて、解散の頃にはすっかり仲間のような気分に。

ネット上の交流だけでも、本当にお世話になってるなあと思ってはいましたが、リアルでお会いしたことでより仲間意識のようなものを強めることが出来たと思います。

仮想とリアルを融合させて、奇跡を形にする

仮想と、リアル。
人によっては、ブログ上で別の人格を演出していることもあるでしょう。
あるいは、リアルで吐き出せないものをブログに書くことで、何とか自分を守っていることも。

でもネットの先には、やはり生身の人間がいます。
仮想現実といいつつ、それを綴るのはリアルで生々しい人そのもの。


それなら、惹かれる人には、一歩進めて会ってみたら、世界が広がると思うのです。
今回のAyumiさんとのオフ会のような、一対一でなくてもいいのですが。
共感しあえる人たちとリアルに会えたら、それってすごい運命的な出会いになるような気がします。

ブログやネットがなかったら、絶対に会うことがなかった人。
でも、この数えきれないほどあるブログの中から、たまたま見つけて、読むようになった。
それだけでも奇跡的なこと。
ならばその奇跡を、リアルに会えたら、もっと確固たるものに変わるんじゃないだろうか?

そんな風に思うのです。


人数少なめでランチ会とか、私はやってみたいのですが。
需要、ありますかね…?





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死にたくなる理由〜アダルトチルドレン、私の場合⑤

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こんにちは、ミサキです。




たまに、死にたくなることがある。


とはいっても、行動に移したことはない。
せいぜい浅くリスカするとか、刃物を持って死ぬと脅すとか、そんな程度だ。
こんなものは「死のうとしてる」うちには入らない。
どちらかというと「私なんかいらない」という感じに近い。



では、何でこんなことになるのか。



きっかけはいつも、本当に大したことではない。
共通しているのは、自分が心を傾けている人から、何かを指摘されたり、咎められたりした時。
相手は恋人だったり、先生だったり、色々だ。
ひどく怒られるというのではなく、相手が自分のためを思って、ちょっとたしなめる程度のことがほとんどだと思う。


それなのに、そんな時はいつも、私はひどく過敏に反応してしまう。
まるで自分の全人格を否定されたように感じるのだ。
些細なことであればなおさら、そんなことにも気づけなかったことが致命的に思えてしまう。


私なんか、いらない。
この世に、無駄な存在。
人に迷惑ばかりかけて、生きてても邪魔なだけ。


そういう気持ちで、胸がいっぱいになる。



かといって、実際に死のうという気力がない。
本気で死のうとすれば、それはかなりのエネルギーを使わねばならず、そこまでのエネルギーがない。
だからジタバタと適当に暴れて、この悲観でいっぱいになった心を誰かにぶちまけては、どうせ私なんか一人で生きるしかないんだと言って泣く。
迷惑この上ないし、言った方はまさかそんなつもりじゃないから、ただ驚いて困惑するばかりだ。
言われた人のことを思うと、本当に気の毒でならない。



そういう時、いつもよぎる考えがある。
親が死ぬまで生きる。
親が死んだら、私も死ぬんだ。
だって、私が死ぬことを本当に悲しむのは親だけだから。
あの人たちを、悲しませたくない。



私の13歳年上の兄は、もともと病弱に生まれ、26歳で死んだ。
脳溢血で、あっけなかった。
当時中学生だった私は、兄の死そのものよりも、焼き場で泣く両親を見たことのほうがつらかった。
子に先立たれる、親の悲しみ。
この人たちに、もうこんな思いを二度とさせてはいけない。
私はその時、無意識にそう決意したようだ。



だけど一方で、私がことあるごとに無価値感の発作に襲われ、死にたいと取り乱す原因もまた、おそらく両親なのだ。
兄と、やはり年の離れた姉がいるが、この二人は両親にとって手がかかる子供だった。
幼い私は、それを敏感に感じ取り、出来るだけ手がかからないように振舞った。

他にもいろいろ原因はあるが、こうして典型的なアダルトチルドレンになった私は、大事な人の迷惑にならないようにと思うあまり、
冒頭のように爆発してしまうことがあるのです。

misakinha.hatenablog.com

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まるで爆弾のような私。

しかも、大事に思う人にだけぶつけてしまうという厄介な爆弾なので、まともな人間関係が築けない。
自分を信用できないから、人のことも信じられず、些細な言葉が裏切りのように思えてしまう。


ウンザリする。心底。


随分とメンタルトレーニングをしてきて、だいぶマシになってきていたのだけど、やはりまだ発作的に現れてしまう。
こうして冷静になれば、その原因もわかるのだけど、感情に支配されてしまうと頭の中が暴風雨のようで、正しい回路が見つけられなくなってしまう。


もっと、自分を受け入れたい。
もっと、自分を信用したい。
もっと自分を好きになって、自分と同じように人を好きになりたい。


今はただ、そのために日々覚悟を決めるしかない。
今までしてしまったことは、もう取り返しがつかないかもしれないけど。
40年近く私を縛ってきた鎖の強固さに、今はただ、ため息をつくばかりだ。




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承認欲求のトリセツ~「褒められたい」と「認められたい」は違うもの

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こんにちは、ミサキです。

みなさん、承認欲求ありますか?
アドラー心理学「嫌われる勇気」で真っ向から否定される承認欲求。
でも、そもそも承認欲求ってなんでしょう?

認められたい?褒められたい?

承認欲求を調べると「他者から認められたいこと」という解説がほとんどです。
でも、認められたいって具体的にどういうことでしょう?



例えば、SNSイイね!の数。
誰かから褒められたいという気持ち。
人より目立ちたい願望。
何度でも愛情を確認したくなる衝動。




これらは全て承認欲求と言われますが、掘り下げると微妙に違うのです。

褒められたい、目立ちたいという気持ち。

これは競争や劣等感を生みます。
なぜならこの気持ちは、他者より優れたり、目立つ事に注目してしまうからです。
褒められなければ、他者より劣っているのではないか?
この疑心暗鬼が競争へと駆り立て、休まることのない日々に没入していってしまうのです。


人生は、他者との競争ではありません。
競争、劣等感については、前回の記事に詳しく書きました。
misakinha.hatenablog.com


では、認められたいとは?

私を見て欲しい。わかってほしい。
これは「褒められたい」とは違います。



「良く出来たね」ではなく「頑張ったね」と言われたい。
「すごく良かった」ではなく「素敵だった」と言われたい。



一見わかりにくいけれど、実は大きな違いがあるのです。

勇気づけ、もしくはアクノレッジメント

アドラー的に言えば、「褒める」は縦の関係に基づいて行われます。
褒める側は、褒められる側を自分より低く見ている前提があります。

「良く出来たね!」
「上手だったね!」
「良かったよ!」


これらの褒め言葉って、上から発せられてるような気がしませんか?

そんなことない、自分は相手の何かに感動したときに「良かった」と言っている、という人もいるでしょう。
言葉の揚げ足取りかもしれません。

でも、期待を上回ったときしか「良かった」って言わないと思いませんか?

期待と言うのは、相手を評価しようとする姿勢でもあります。
評価というのは、意識のどこかで縦の関係を相手に持ち込んでいるのです。
思い当たるところはありませんか?



これに対し、横の関係で行われるのが「勇気づけ」です。
横の関係とは、相手と対等であるというスタンスです。
これは親子や上司・部下などの関係でも成立します。
対等であるには、相手に対する尊重が必要です。

「勇気づけ」という言葉はアドラー心理学の用語ですが、コーチングでは「アクノレッジメント」という方法がよく似ています。

アクノレッジメント(承認)とは、相手に現れている変化や違い、成長や成果にいち早く気づき、それを言語化して相手にはっきり伝えることです。
(中略)
アクノレッジメントは、褒めることや賞賛とはイコールではありません。
褒め言葉や賞賛も相手のモチベーションを高める効果がありますが、相手に対する評価が加わるため、人によっては受け取りにくかったり、それがないとやる気がでないというような「アメとムチ」構造の「アメ」になってしまいます。
一方、アクノレッジメントは変化や成果を事実として伝えます。

アクノレッジメントの例には
「結論から話すようになったね」
マーケティングの勉強も始めたんだね」
「この1年、目標を達成し続けているね」
などがあります。

https://allabout.co.jp/gm/gc/297573/5/



つまり、「あなたのこと、ちゃんと見てるよ」と伝えること。
これがアクナレッジメントの基本です。


「つらかったね」
「がんばったね」
「素晴らしかった」
「ありがとう」


例えばこんな言葉。
これこそ「勇気づけ」であり「アクノレッジメント」になるのです。


認められるには、まず相手を認めること

「褒められたい」ではなく「認められたい」という欲求を満たすには、何よりも自己受容が大切です。

自己受容。
自分を認め、許すこと。
人から褒められたいという気持ちを放棄して、ありのままの自分でいいのだと思うこと。


これが、難しい。


でも、これを助ける方法が一つあります。

それは、まず他者を認めることです。
これに近い事を、以前記事に書いてます。

misakinha.hatenablog.com


このことを端的に描いたショートフィルムがあります。

Validation(承認)日本語字幕付きフルバージョン

16分のショートフィルム。

クリーブランド国際映画祭で最優秀短編物語を受賞。
ジェンアートシカゴ映画祭で審査員賞を受賞。
ハワイ国際映画祭で観客賞を受賞。
フィルムで最優秀短編コメディのブリッケンリッジ祭受賞。
ハートランド映画祭で最優秀短編映画&観客賞。
クリスタルハート賞を受賞。
ウィリアムズタウン映画祭でクリストファー&ダナ·リーブの観客賞を受賞。
ダム短編映画祭で最優秀コメディを受賞。
セドナ国際映画祭で最優秀短編

と数々の賞も受賞しています。

ある青年が、人々を「承認」していくことで、世界を変え、笑顔でいっぱいにしていく物語。
青年の行う「承認」は、「褒める」というより「勇気づけ」「アクノレッジメント」に近い意味合いに取れます。
(なぜなら、青年が褒める人々はほぼ初対面で、そこに縦の関係が存在し得ないからです)
人々に与え続けた青年は、一度は自信を無くしますが、人を笑顔にすることで自己受容を獲得し、最後には…。
(結末はぜひ、ムービーを見てくださいね!)


まず、人を認めること。
声に出して、「あなたを見てるよ」って伝えること。
それは確実に「自己受容」に繋がる一歩です。

まとめ

承認欲求といっても、その内実は少なくとも2種類あります。

●褒められたい欲求
●認められたい欲求

「褒められたい」は、出来る限り手放した方が、あとあと楽になれます。
その瞬間は嬉しいのですが、「期待にこたえなきゃ」という気持ちが芽生える事で、あとからそれがジワジワと自分を縛るようになるからです。

「認められたい」は、自己受容を促す事で解消できます。
もともと自己受容出来ていない人にとって、これはとても難しいもの。
そのためにまずは「他者を認める」ということから始めてみるのがオススメです。


世界を変えるのは、自分から。
「承認されたい」から「承認します」にシフトするだけで、あなたの世界は変わりますよ!





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ドラマ「嫌われる勇気」第三話から読み解く〜劣等感の取扱い方

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こんにちは、ミサキです。

木曜日はドラマ「嫌われる勇気」第三話でした。

misakinha.hatenablog.com
misakinha.hatenablog.com



今回は「競争」の中で生きる人たちがテーマ。
刑事ドラマとしては一番面白かったものの、肝心の「アドラー心理学」の実践的なシーンがほとんどなく、ドラマの趣旨がぼやけてしまった印象を受けました。

とはいえ「劣等感」「競争」というテーマは、なかなか生々しく、ちょっと考えてしまうところも。
この二つについて、実体験を元に掘り下げてみようと思います。

劣等感には2種類ある

ドラマで大文字(椎名桔平)も語りましたが「健全な劣等感とは、理想の自分から生まれるもの」。
人は進歩しようとするのが本能です。
出来ない事を、出来るようになろうとする。
その過程において、望む自分に未だなれない状態で、未来の「理想の自分」に対して感じる劣等感は、成長を促す効果もあるのです。

これに対して、他者との比較から生まれる劣等感は、勝ち負けという意識を生みます。
大文字は「競争の中に身をおく人の心は休まることはありません。しかし、他者はあなたのことをそれほど気にしていません。」と語ります。

これは重要な指摘です。
「他者はあなたのことをそれほど気にしていません」。

それは、本当でしょうか?

競争は、だれもが経験してきている

競争社会。
学校教育などを通して、おそらく誰もがその洗礼を受けています。
能力は点数で測られ、順番に並べられる。
その順位に、一喜一憂する。


学校だけではありません。

私の場合、身近なところでは10年来通っているダンス教室という場で起こります。
そして、その劣等感に苦しんできました。


誰が発表会で良いポジションを取るのか。
誰が先生に、より気に入られるか。
私よりいい位置のあの子が、私より本当に上手いの?


こんなこと、とても口に出しては言えませんでした。
みんなで一緒に踊れれば、それで満足。
そう言ってきたし、そう思い込もうとしていた。

でも。

ポジションが発表されれば、少なからず思う。
「あの子は上手いから、あのポジション」。
そこに選ばれなかった自分に対しての、猛烈な落ち込みと、自己否定の嵐。
それは間違いなく、劣等感が生んだもの。
そして、元々持っているアダルトチルドレン気質から、ひとつ納得がいかないと、全てがダメなように思えてしまう。



自分なんかダメだ。
ダンスなんか続けて、どうするのか。
向いてない、やめた方がいいんじゃないか。
踊っていて楽しい事なんかほんの一瞬で、つらいことばかり。


そう、思ってきました。
それでもやめることも出来ず。
お稽古事というものは、こういうつらい鍛錬が必要なのだろうと思っていたのです。


でも。

全部、私が勝手に、一人で生み出した幻想でしかなかったのです。

あなたの顔を気にしているのは、あなただけ

ドラマでは蘭子にライバル意識を持つ監察医めい子が、大文字から言われるこの言葉。

これが、競争の真実です。
私の場合も、そうでした。


私が劣等感ゆえに、どんなに落ち込んでも。
他者からは、そこまで落ち込む理由は理解できません。
なぜなら、客観的に見ても、そこまで落ち込むほどの出来事は起きていないのです。

ポジションが取れなかったのは、確かにもっと上手い人がいるからかもしれないけれど、だからといって「出るな」と言われたわけでもないし、見せ場が全くない人などいないのです。

つまりそれは、自分の自意識が勝手に作り出した、ただの幻想でしかない。

誰も私のことなんか、ある意味関係ない。
競争すら起きていないのです。


人生は他者との競争ではない

確かに。
ダンスが上手ければ、いいポジションに配置されやすくなります。
勉強が出来れば、いい点数が取れるようになります。

でも、それはその人の個性。
それがない人には、また別の個性があるのです。
良し悪しではなく、違うというだけのこと。
そして人はみんな、違うけれど、対等なのです。


確かに、ダンスでいいポジションは取れないかもしれないけれど。
別の長所を、別の機会に生かせることは必ずあります。

また、「いいポジション」というけれど、複数で踊っている以上、全員が作品の一部であり、誰も欠けてはいけない。
これは「みんなで踊れれば満足」という事とは違います。
みんなで作っているという意識と、自分の役割を全うする事。
これは「共同体意識」に繋がるものです。
(ドラマでは、青山が監察医のめい子に言う「庵堂さんは仲間ですから」という台詞で描かれています)
これも、わかってはいたけど、心底思う事が出来なかった。
競争に囚われてしまっていたのです。


そして、いいポジションが取れなかったとしても。
ダンスを続ける理由は、そこではありません。

好きなダンスで、自分が、どのくらい進歩したか。
それが重要なのです。
いいポジションで踊ることが、ダンスの目的ではないのですから。
「いま、ここ」を生きれば、他者との競争など生まれないのです。

「いま、ここ」についてはこちらに書きました。
misakinha.hatenablog.com


競争を仕掛けられたら?

ただし、無理やり他者から競争を仕掛けられることもあります。
ライバル的存在から、いわばふっかけられたり。
教師などの管理者が、敢えてそれを仕組む場合もあるでしょう。
ドラマでは、女子高生の恵がその立場にありました。

そんな時どうするか。

「課題の分離」を思い出すことです。

この記事で「課題の分離」について少し書きました。
misakinha.hatenablog.com



最終的に起こりうる結果を引き受けるのは誰か?
その課題は、競争を仕掛けた方の課題で、こちらの課題ではないのではないか?
そう考えることで、競争の土俵から降りることができます。
そして、それは負けではないのです。
「競争は成立しない」というスタンスで、自分を守ることができるのです。

まとめ

「競争」というテーマは、誰にでも降りかかることで、とても重要です。
ただ、他者との比較は必要ではなく、自分の進歩だけ見ればいいという考え方は、「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」という、もはや使い古されつつあるフレーズと変わりません。
そんなことわかってるのに、心の底では消せない劣等感に苦しんでいる人が多いでしょう。


劣等感がなかなか消せない理由。
それは、ドラマの1、2話で出てきた「課題の分離」や「目的論」、また、「いま、ここを全力で生きる」という、アドラー心理学の基本的な部分を理解していないと難しいからではないでしょうか?


私の場合も、やはりアドラーをしっかり読み解き始めてから、ようやく劣等感から解放されつつあります。
もちろん、まだ試行錯誤ではありますが。


来週は「自由について」のようです。
これはアドラー心理学の肝なので、どう描くのか楽しみです。






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周りの人の良いところをを見つけよう!~引き寄せの法則で自己肯定感UP

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こんにちは、ミサキです。

このブログの中で、何度も取り上げてきた「自己肯定感」

私はこれが低いために、人間関係のトラブルや、メンタルの乱高下に苦しんできました。

些細なことで、「自分なんかもうダメだ、世の中に必要がない人間だ」と異常に落ち込んだり。
身近な人からのちょっとした指摘を、まるで全人格否定されたように感じて取り乱したり。


こういう自分は「感受性が強すぎ」「こじらせてる」という性格なのだと思ってきました。


でも、ある時、ネットで知ったアダルトチルドレン(AC)の特徴。

そのほとんどが当てはまっていること。
そして、育ってきた環境の中に、思い当たる節があること。

それを見て、自分の性格がこじらせているのではなく、幼少期の体験から身についた、思考の癖によるものだとわかりました。
misakinha.hatenablog.com



そして、その癖を直していくのに必要な、自己受容というプロセス。
自分を認め、許す。
そして、自己肯定感を高めていくこと。


生きづらさを解消するには、それが必要なのだとわかりました。

misakinha.hatenablog.com



自己受容する方法は様々です。
その方法としての身体ケアについては、何度も書いてきました。

misakinha.hatenablog.com
misakinha.hatenablog.com


今日はもっと手軽に出来る方法をひとつ。
それは、周囲の人の良さを見つけて、伝える事です。

周囲に集まる人は、自分が引き寄せている

これは引き寄せの法則でよく述べられる事です。
にわかには信じがたいかもしれませんが、これ、絶対本当です。
「縁」という言葉は、この現象を言い表していると、私は思います。


周囲の良い人も嫌な人も、自分の何かが引き寄せたもの。
そうじゃなければ、自分とその人たちはなぜ何故関わっているのでしょう?


「たまたま職場の同僚だから」「偶然同じ趣味だったから」など、一見引き寄せを信じられないケースもありますが。
よくよく考えれば、その職場を選んだのも、あなたが選んだ必然故のこと。



また逆に、なぜ離れていく人がいるのでしょう?

例えば、ある時期とても仲が良かったのに、いつの間にか疎遠になってしまった友達。
ケンカしたわけでもなく、ちょっとしたライフスタイルの変化こそあれ、疎遠になる理由すら思いつかない場合もありますよね?
 


それはおそらく、お互いの役割を終えたのです。



周りの人は、自分が引き寄せている。だとしたら。



嫌な人のことは、いったん置いておいて。
良い人、好きな人、大事な人のことを考えてみます。


自分の周りの素敵な人の、良いところを挙げてみよう


その人は、どんなところが素敵ですか?
その人の、どんなところが好きですか?

思いつくところを、どんどん挙げてみましょう。



人懐っこい笑顔がカワイイ。
整えられた指が素敵。
すべすべの肌がキレイ。
豪快な笑い声が気持ち良い。
いつも似合う服を着ていてかっこいい。
髪がサラサラで素敵。



思いつく限り、いくつでも。



そして、思い出して下さい。
素敵なその人は、あなたが引き寄せたのです。
今のあなたにとって必要な人だから、あなたと関わっているのです。

その素敵な人を引き寄せた自分。
何だかちょっと、いいなあって思いませんか?

人に喜ばれると、自分が好きになる

そして、いくつか挙げた素敵なところを、ひとつでもいいから本人に伝えてみましょう。

きっと、喜んでくれます。
驚くかもしれません。
そんな顔を見てると、言ったあなたもきっと嬉しくなります。


人に喜ばれると、自分のことが少し好きになります。
言った方も言われた方も、どちらも幸せになる、魔法の言葉です。


ただし、一つだけ注意。

人を喜ばせるのが、本来の目的ではありません。
それはあくまで、素敵なところを探して見つけた、その副産物。
大事なのはあくまで、周りの人の素敵なところを見つけることです。
これを忘れると、喜ばせたい気持ちのあまり、大して思ってもいないことを言ってしまったりする危険があります。
そうすると、ただのお世辞になってしまい、逆効果です。

まとめ

私のように、自己肯定感が低くて、なかなか自分を好きになれなかったら。
まずは周りの人たちを、今よりもっと好きになってみましょう。

自分は好きな人に囲まれている。
それは、自分が引き寄せたから。

こんなやり方なら、無理に「自分を好きになる!」と頑張らなくても、きっと少しは自分を認められる。
そんな気がしませんか?




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こんにちは、ミサキです。

みなさん、毎日好きな服、着てますか?


仕事だから、好きな服なんか着られない。
普段着は、あるものを着ている。
特に考えた事ない。


そんな風になっていませんか?

「服装は、生き方である」

これはイヴ・サンローランの言葉ですが、まさにその通りだと思います。

「仕事で嫌だけどスーツを着なくてはならない」という人は、
アドラー的に言えば「嫌だと言いながら変わらない人」。
本当に嫌なら、スーツを着る仕事を選びません。

逆に「スーツを着たくない」という理由で仕事を選ぶ人もいます。


そういえば「制服がかわいい」という理由で学校を選ぶ学生もいますよね。


「服装」は多くの人が思っているよりも、ずっと深く生き方に結びついています。


持っている服を、特に考えず着ているという人は、外見が及ぼす色々な影響を見落としている人。
無難で目立たない服を着ていれば、その人も無難で目立たない人。
組み合わせがチグハグなら、無頓着な人。
制服のように、同じ組み合わせをルーティーンで着ていたら、工夫するのがめんどくさい人。


そうは言っても、男性はそういう人が多いのでは?という意見もありそうですが、私はそうは思いません。


目立たない服でも仕立てが良くて気に入っていれば、着ている人からも秘めた自信を感じます。
一見チグハグでもポリシーがあれば、強烈な個性として映ります。
ルーティーンで着ている組み合わせにこだわりがあれば、堅実さが伝わります。


身に着けるものが自分自身に及ぼす影響。
意識していなくても、実はかなり大きいのです。


毎日、お気に入りをひとつ、身に着けよう

とは言うものの、そう簡単にガラリと服装を変えることは、なかなか難しいものです。
好きな服といっても、コーディネートがよくわからなかったりすることもあるでしょう。
大嫌い、とまではいかなくても、どうしてもスーツを着なきゃいけない時もある。


そこでオススメしたいのは、ひとつでいいからお気に入りを身につけること。
服の1アイテムでもいいですし、アクセサリーや雑貨でもいい。
靴下でもいいし、インナーウェアでもいいのです。
お気に入りのバリエーションは多い方が楽しいですが、なければ同じものを毎日着けてもいい。


そして、それを身につけた自分を鏡で眺めて、毎朝少し、ニヤリとしてみましょう。
ちょっと想像してみてください。



楽しくないですか?
ワクワクしませんか?



朝から少しだけ楽しくなったら、ちょっと良い一日が送れる気がしませんか?

私のお気いりのひとつ、公開します

このメソッド、実は自分でやってみたのです。
これが思いのほか楽しい!

せっかくなので、毎日忘れないようにInstagramにUPすることにしました。

もちろん「今日は一日寝る。一歩も出ない」という日もあるし、寝坊した日はできませんが、なるべくUPしていきたいと思っています。


PCでこのブログをご覧になっている方は、サイドバーにInstagramが表示されるようにカスタマイズしました。
スマホは表示されませんが、フォローボタンを記事下に貼り付けることにしたので、もしアカウントがある方はぜひご覧ください!
繋がれる方はぜひフォローしてくださいね。
ちなみに、今朝はこんな写真をアップしました。
https://www.instagram.com/p/BPoIrcMAvJL/
ショートカットは首が寒い!いつも何かしら巻いてますが、いつものマフラーも、ブローチひとつで表情は変わります。例えばこんなfunnyなネコブローチで、ちょっと遊びを入れて🐈#fasion #fasionstyle #fasionblog #fasionlover #防寒コーデ #防寒 #コーディネート記録 #favorite #コーディネート #マフラー #マフラーの巻き方 #ブローチ #ブローチ大好き #ブローチ好き #フェルトブローチ #ネコモチーフ #ネコブローチ #ファッション #ファッション雑貨 #ファッション雑貨 #cataccessories #cataccessory #fasionsnap




お気に入りが増えれば、毎日は楽しい

身につけるお気に入りは、増えれば楽しいはず。
ミニマリストであれば、厳選した精鋭のお気に入りたちは、誇らしく思えるでしょう。

好きなものに囲まれていれば、それだけでもちょっとだけ幸せになれませんか?
そして、ちょっとの連続が毎日で、それは生き方に繋がるのです。


毎朝お気に入りを身につけて、鏡を見て、ちょっと笑う。
ぜひ、試してみてくださいね!




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ドラマ「嫌われる勇気」第二話から読み解く(一部ネタバレあり)〜アドラー心理学「目的論」とは?

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こんにちは、ミサキです。

もう先週ですが、ドラマ「嫌われる勇気」第2話を見ました。
今回、内容的には前回より謎解きはちょっとマシ(ヒドイw)になりましたが、アドラー心理学を実践して救われた人物が一人もいなかったという点ではとても残念でした。
しかも、テーマとなる「目的論」がちょっとわかりにくかった。

一部ネタバレを含めつつ、気になったポイントを掘り下げながら「アドラー心理学」についての自分の解釈をおさらいしてみようと思います。

misakinha.hatenablog.com
第一話の感想はこちら。


そもそも「目的論」とは?

第1話放送後に書いた記事で、「目的論」の予習を書きました。


人は、必ず何かの目的のために行動している。

ドラマ内でも言及されてますが、例えば「怒り」は、怒りの対象者を威嚇するため。
だから、第三者がその場に現れると、途端に怒りを引っ込めて礼儀正しくなったりするのです。


そしてドラマ内では、「不平を言いつつも変わらない人たち」を描き続けます。
ブラック企業で、パワハラ上司。
文句を言いながらも、現状を変えない人々。
「やめたらいい」という蘭子(香里奈)の言葉にも、「家庭があるから」とか「花形の部署だから仕方ない」とか理由をつけて、何も行動しないのです。

最終的に、この「変わらない人たち」の中で起きた事件。
一年前自殺した成美も、成美のツラさを見て見ぬ振りをした同期の絵実華も、成美の弔いだといってパワハラ上司・市川を殺した竹内も、みんな変わることを選ばなかった。

なぜなら、変わることを選んだなら、辞めるなり戦うなりしたはずなのです。



成美は、死ぬほどつらいなら、辞めればよかった。

竹内は、成美のツラさをわかっていたのだから、彼女をやめさせるなり、市川と戦うなりすればよかったのです。
(成美は、市川からのパワハラがキッカケで発作的に自殺していますが、おそらく心身症レベルまで追い詰められていたはずです。
この場合、勇気云々ではなく、加療のために市川となんとしても引き離す必要があったはずです)

絵実華は、不倫相手のパワハラ上司・市川と同期の板挟みになってツラかったなら、どちらかに何か働きかければよかった。
「市川に嫌われるのを恐れて何もしなかった」という絵実華の言葉は、そのまま「嫌われる勇気」というタイトルにも繋がります。
その勇気がなければ、現状を変えることはできないのです。

怒りは出し入れ可能な道具なのか?

第2話で一番わかりにくかったのは「感情は目的を達成するための手段」という考え方でしょう。

竹内が市川を殺したのは、成美を死に追い込んだという怒りからではなく、市川を殺すという目的のために怒りを利用したと言い放つ蘭子。

これは、わかりにくい!

では、なぜ竹内は市川を殺したのか?
恋人だった成美の、仇討ちではないのか?


これが、多分違うのです。


竹内は、成美を救えなかった。
成美の苦しみを知りつつ、自らが変わる勇気がなかったばっかりに、何もできなかった。
その自責の念は、ものすごい圧力のはずです。
その苦しみから逃れるために、竹内は「怒り」を利用した。
「あいつのせいで、成美は死んだ」と思い込み、その恨みを晴らすという口実を作り、自責の念を怒りにすり替えたのです。
その怒りの矛先を市川に向け、彼を殺すことで自分を正当化したかったのでしょう。
だからこそ、蘭子から「人殺しを美談にすり替えないで下さい」と言われた竹内は泣きだすのです。


では、もし自責の念を竹内がちゃんと自分で引き受けていたら?
おそらく市川を殺すのではなく、対決したはずです。
市川は単なるパワハラだけでなく、成美の開発した商品を自分のものとして発表し、功を奪っています。
それを明らかにすることこそ、本当に成美の弔いになったはずです。


感情を目的のための道具として使う。
この考え方、怒り以外の感情の例が思い浮かびません。
この辺りは私のアドラーへの理解不足なのだと思います。


ですが、感情は出し入れ可能という考え方。
これはある程度理解できます。
この考え方を利用したのが、感情をコントロールするセドナメソッドです。

感情は手放せる

セドナメソッドについては以前も記事にしました。
misakinha.hatenablog.com


感情は手放せる、というのがセドナメソッドの基本的考え方です。
例えば悲しい時は「私=悲しみ」ではなく、「私=悲しいと感じている」が正しい。
英語で言えば、I am sadではなく、I feel sadというわけです。

それなら、悲しい気持ちは手放してしまおう!というのがセドナメソッド
詳しいやり方は以前の記事に書いたので割愛します。

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド

新版 人生を変える一番シンプルな方法―セドナメソッド


アドラー的に言えば、「怒り」や「悲しみ」は、何かの目的の為に生成された感情です。
本人さえ気づいてない目的が隠されていることも、多々あるのです。


この隠された目的
それを知る一つの方法として、感情を手放すというやり方は有効です。
目的が分からなければ、前に進むことは出来ません。

まとめ

今回の「目的論」は、ドラマだけではかなりわかりにくい描き方で、おそらくアドラーを全く予習してないと誤解を生むのでは?と思いました。
一方で、「アドラー的にこの現象を捉えるとどうなるか?」と考察しながら見るのはなかなか面白いです。

そもそも日常はこんな風に陳腐な出来事の連続で、それをいちいち解説したり、導いてくれる人などいないのですから。


来週はどうやら「競争の中で生きる人々」についてのようなので、どういう切り口で来るか、楽しみです。




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